10月歌舞伎座 昼の部

kenboutei2009-10-04

もう10月か。
『毛抜』三津五郎の粂寺弾正。本公演では初役とか。全体的にこじんまりとした感じ。三津五郎は、見得や台詞はしっかりとしていて、実に清々しいのだが、この役に求められるおおらかさや、猥雑感、いい加減な古典味には欠けている。そこが同じ歌舞伎十八番でも、『勧進帳』の弁慶とは異なるところでもある。
『蜘蛛の拍子舞』玉三郎松緑菊之助。前半は、玉三郎の踊りを中心に楽しめた。三人での手踊りは、『関の扉』みたいな感じ。紅葉の枝をそれぞれ手にして、鍛冶の真似をするのは、何だか奇異であったが。
菊之助の頼光は、ただそこにいるだけで醸し出るような気品、とまではいかず、踊る白拍子玉三郎を前に、ややぎこちなさがあった。
途中で蜘蛛の着ぐるみが登場して、大活躍。見得もきる。仮面ライダー・ショーなら蜘蛛男として通じる程のリアルさ。ただ、お尻から太くて白い糸を出すのは余計という気もした。
『河庄』藤十郎の治兵衛、時蔵の小春、段四郎の孫右衛門。藤十郎の河庄も、ちょっと食傷気味かなあ、と思っていたのだが、意外と飽きずに観ることができた。
その理由は、初役の段四郎の孫右衛門にある。普段から台詞の入らない段四郎に、初役で、しかも上方芝居の役をつけるというのは、何とも無謀であり、案の定、プロンプの声が響きわたり、会場全体が凍り付くスリリングな瞬間が、幾度となく訪れるのだが、それでも今日の段四郎は、芝居の流れを壊すほどのものではなく、自分の中では許容範囲の台詞の覚えではあった。
飽きなかったというのは、台詞大丈夫か、というドキドキ感ではなく(まあ、それもあったことは否めないが)、段四郎演じる孫右衛門が、これまで観てきた孫右衛門とは、ちょっと違った人間像であったということである。
段四郎の孫右衛門は、根っからの商人で、弟の詮議のために、侍に化けているが、いつバレてもおかしくないほど、オロオロしていて、全然立派ではない。ここが、富十郎我當が演じる時と決定的に違うところである。そして、情が深い。弟のことを、真剣に思っているのがよくわかる。(その代わり、小春に対する心情は今ひとつはっきりせず、そこが兄としての頼りがいに欠けるところではあった。)
そして、このちょっと異色の孫右衛門を前に、治兵衛の藤十郎が、抜群の対応力で相手をしており、とても新鮮であった。慣れた相手との当意即妙さとは違う緊張感が二人の間にあって、それが小春をめぐる兄弟の駆け引きという設定に、うまく嵌ったような気がする。その緊張感の半分は段四郎の台詞の不確かさと挙動不審にあるのは確かなのだが、今日の舞台に関しては、それが逆に幸いしたのではないだろうか。
とにかく、段四郎の孫右衛門といのは、ニンにあっていると思う。今後、持ち役となったら、こんな嬉しいことはない。(それでも、プロンプは不可欠だが。)
時蔵の小春が、これぞ「神妙」という小春であった。
床の谷太夫が、剃髪していてぴっくり。何かあったのだろうか。(隣の三味線も、丸坊主になっていた。)
音羽嶽だんまり』松緑の息子、藤間大河の初お目見得。口上で、菊五郎富十郎吉右衛門。口上が終わると、吉右衛門松緑親子が花道を引っ込んでしまった。何故?
その後、田之助、萬次郎、権十郎錦之助魁春、団蔵らが登場し、残っていた菊五郎富十郎とだんまりとなり、最後は富十郎が三段に上がって幕。
幕開きの大薩摩の巳紗鳳が、すっかり痩せて、声も通らなくなっていたのが、悲しかった。