9月歌舞伎座 昼の部

kenboutei2009-09-21

竜馬がゆく 最後の一日』染五郎による坂本竜馬シリーズの完結編。暗殺された近江屋での一日を描く。廻り舞台が頻繁に回るわりには、単調な筋の運びで、盛り上がりに欠ける。脚本家は「大石最後の一日」や「井伊大老」をイメージしたのだろうが、さすがに真山青果や北條秀司には遠く及ばない。(今の時代に、あのような台詞劇が成り立つのかという問題もあるが。)松緑中岡慎太郎も、声音の幼さが、こういう幕末実録モノには損。
最後は、竜馬と中岡が斬られてすぐ幕切れにし、ヘタな余韻を残さない方が、良かったように思う。
『時今也桔梗旗揚』吉右衛門の光秀、富十郎の春永という好配役での「馬盥」。吉右衛門の光秀が大きく、そんな恰好はしていないのに国崩しの風格がある。花道の引っ込みは、仁木弾正を彷彿させる眼光の鋭さ。(そういえば光秀も仁木も、五代目幸四郎の当たり役なのであった。)
一方の富十郎の春永であるが、声の大きさ、張りは誠に立派で感服するが、相変わらず台詞廻しの「わかりやす過ぎ感」(例えていうと、国語の時間の優等生の朗読みたいな感じ)が、どうにも歌舞伎の様式性や古典風味から離れているので、そっちの代表格である吉右衛門との台詞対決の面白さが半減している。台詞や言葉を正しく伝えるという意味では、富十郎のやり方は間違っていないのかもしれないが、歌舞伎の持つある種の味わいは損なわれている気もしてしまう。できることなら、10年前に、この二人の対決が観たかった。(と、記した後で調べると、平成12年9月の歌舞伎座での上演記録があった。しかも皐月は宗十郎! 観たかったなあ、と嘆息しながら、さらに調べると、実は自分も観に行っていた舞台であった。チケットの半券は残っていたが、頭の中の記憶はまるで残っていない。そういえばこの頃は9・11もあったりして、色々大変だったからなあ・・・、というのは言い訳にもならないが、過去の日記もこの時期は結構抜けがある。やはり感想はちゃんと残しておいた方がいい。)
吉之丞の園生の局が、ちょっと猫背で小さくそこに座しているだけで、古典歌舞伎の情景。実は今日の舞台で一番印象に残ったのは、この吉之丞であった。(と、きちんと記録しておく。)
『お祭り』途中休演していたという芝翫だが、今日は元気に登場。花道からの出が、特にキビキビしていて良かった。舞台正面で、照れながら挨拶する姿が、異常に可愛くてびっくりした。何だか若返ったみたいだ。
さよなら歌舞伎座公演になってからの演目は、スーパーやデパートが年中やっている「店じまいセール」みたいで、ちょっと閉口気味なのだが、できれば芝翫富十郎田之助藤十郎らが今のうちに見せられる演目を、もっと出し惜しみせずに見せてほしい。今日の芝翫の『お祭り』だって、そういう意味では貴重な舞台だったと思う。(願わくば、最近出ていない、雀右衛門の姿も目にしたいものだが。)
『河内山』幸四郎の河内山。最初から滑稽味を狙っているのがわかるので、そこがつまらなく感じる。最後の啖呵も、台詞の陶酔感からは遠い。何故「名調子!」などという大向こうがかかるのか、不思議であった。
『お祭り』で追い出しにしていても良かったのかも。