9月文楽公演 二部・三部

kenboutei2009-09-20

第二部
二部は、切場語り三人で、「沼津」と「酒屋」を語る。贅沢なのか安易なのかよくわからない。
『沼津』は前が綱大夫、後を住大夫での語り分け。綱大夫の調子が、最近の中では割合良い感じであった。住大夫の方は、平作が腹を切ってからの述懐が秀逸。ここの住大夫は、いつ聴いても良いと思う。
人形では、蓑助の十兵衛が印象的。平作に声を掛けられ、草鞋を結びながら、ふっと平作の方を向く仕草など、うまいものだ。
『酒屋』は、前を英大夫、後を嶋大夫。今回は、三勝が茜屋に酒を買いに来る場面がつく。嶋大夫の「今頃は、半七さん〜」のクドキは、微妙な音遣い。気持ちの良い高音にはならず、音が外れそうになるところを、独特の節回しでうまくかわしていた。
お園を遣う文雀が良い。宗岸に連れられて、恥ずかしそうに隅で小さくしている姿が、儚げで愛おしくなる。
三勝の子、お通の人形の「はいはい」の動きが、ちょっと匍匐前進っぽくて面白い。
第三部
『天変斯止嵐后晴』シェークスピアの「テンペスト」を人形浄瑠璃化。文楽の新作物というのは、東京ではめったに観られなくなっているが、それはおそらく客の方も期待していないからで、新作よりも、第一部で出してくれたような古典を、できるだけ通しで観せてほしいと思っている者が、自分だけでなく結構いるのだと思う。
更に、よりによって洋物を題材にするなんて、とさえ思っていたのだが、実際今日の舞台を観ると、意外なことに結構面白く、楽しかった。(現金だな。)
原作の「テンペスト」は読んだことがなく、あらすじも知らないので、その比較はできないが、妖精や魔法が飛び出すメルヘンチックな世界が、三味線の音色にもマッチしていたことは、新鮮な驚きでもある。
これは、文楽が「人形劇」ということもあるのだろう。英理彦という空飛ぶ妖精や、泥亀丸という化け物が出てきた時に突然脳裏に浮かんだのは、子供の頃に夢中で観ていた、「ひょっこりひょうたん島」や「ネコジャラ市の11人」、「新八犬伝」などのNHKのテレビ人形劇の世界である。もともとそうしたテレビの人形劇の原点が文楽なのだから、歌舞伎の世話物を観てドリフのコントを思い出したのと同じように、文楽と人形劇の親和性は当然過ぎる程あるわけである。
ただ、その人形劇に、義太夫節までマッチしていたのは、三味線以外の弦楽器も駆使して作曲した清治の功績だと思う。加えて、シェークスピアの世界を日本の時代物に置き換えた部分(脚本は山田庄一)も大きい。
床の語りについては、多分まだまだ改善の余地があるのだと思うが、とにかく今の文楽の演目に一つの財産が加わったことは間違いない。(様々な妖怪の造形も、舞台と調和しており、優れた作品になっていた。)
人形遣いはみな黒衣姿で出遣いではなかったが、新作の場合は、その方が正しいと思った。(逆に出遣いというのは、古典化された舞台での一演出なのだと、改めて認識した。)
歌舞伎でやった同じシェークスピアの『十二夜』なんかも、同じように文楽化できるのではないだろうか。
ところで、魔法を解かれた英理彦は最後どうなるのだろうか?