あぜくら会特別企画 沙翁×乱歩 清治×染五郎

先般、9月の文楽のチケットをネット予約しようとした時、この企画のチケットが出ていたので、思わずポチッと購入。(それ以前にチェックした時は、既に売り切れとなっていたのだが。)
9月の文楽でのテンペスト、10月の乱歩歌舞伎再演の、宣伝企画。チケット代1,000円。
昨年の歌舞伎『人間豹』と、先月の文楽大阪公演『天変斯止嵐后晴』の映像をダイジェストで上演した(殆ど寝ていたが)後、休憩を挟んで鶴澤清治市川染五郎トーク国立劇場小劇場、午後6時から8時まで。
印象に残った話は以下の通り。
(清治)

  • 先月の大阪公演は、最初は入りが悪かったが、だんだん良くなった。自分の出番の後、急いで着替えて客席へ回った。観客は、拍手のきっかけがなく、ずっと静かであったが、最後に沢山拍手がきたので良かった。反省点もあるので、今度の東京公演は、さらにネジをまいて、バージョンアップする。
  • シェークスピアは、ほとんど台詞劇だが、文楽の場合、情景を描く地の文が必要。台詞だけだと、人形遣いもただ立っているだけになってしまう。
  • 昭和30年代に、シェークスピアの『ハムレット』を文楽でやっており、子供の頃に観た。日本風に置き換えるのではなく、そのまま外国人の人形で上演しており、違和感があった。文楽のような人形では、洋服を着た外国人は皆腰が曲がった格好になるので、おかしかった記憶がある。

染五郎

  • 人間豹(恩田)の最後は、この企画の言い出しっぺで、演じている自分が見届けなければならないと思った。
  • 脚本ができても、その通りの舞台になるとは限らない。着替えの時間やセットの問題で、別の一幕を設けることもある。それが不自然にならないように工夫もしなければならない。
  • 新作の場合でも、歌舞伎の持っている多くの「引き出し」を利用して作り上げていくのが普通だが、今回は、あまりその引き出しが使えず、それがかえって、新しい感覚の芝居になったのかもしれない。
  • 恩田と神谷の二役は、自分のアイデアではない。芝居を作っていくうちに、そうなった。自分でも「なるほどな」という気分。
  • 他にも色々やりたいことはある。かつて、守田勘弥が、チャップリンの『街の灯』を蝙蝠安主演で歌舞伎化したことがあるそうで、それをやりたい。(映画が日本に来る前に、芝居化したらしい。今なら著作権上、犯罪でもあるのだが・・・) 
  • 歌舞伎は極彩美だが、セピア色の歌舞伎というのもあっても良い。

 
他にもあったが、思い出したら追記しよう。染五郎が、「歌舞伎の大向こうは役ではなく役者名(屋号)で声を掛ける。」という話から、歌舞伎や文楽の非論理的な筋立ての例を清治と染五郎(と、司会のNHKアナウンサー)が語っていたのが、ちょっと面白かった。(実は歌舞伎や文楽だけでなく、日本人の演劇観の本質に触れる話題であった。)
それにしても、染五郎や観客の反応を見ていると、去年の『人間豹』は、どうやら世間では成功したものと認知されているようだ。