江戸博『写楽 幻の肉筆画』

kenboutei2009-07-23

江戸東京博物館で開催中の、マノス・コレクションによる、『写楽 幻の肉筆画展』へ。
遠く、ギリシャの博物館で写楽の肉筆画が見つかったということで、今も話題になっている展示会。
開館早々に行き、展示の順番を無視して、まずはその扇面図のところへ直行。(結構奥の方に展示されていた。)
ガラスケースに納められたそれは、意外に小さく(扇面なので当然だが)、しかし、色は鮮やかに残っていた。竹紙という紙は裏が透けて見える程薄く、少し艶があって、油取り紙のような印象。そういう紙質のせいか、墨も意外な程べったりと塗られた感じで黒光りし、これが200年以上前に描かれたとはとても思えない程、新鮮さを保っているのに、まず感動した。この質感は、印刷されたものでは絶対にわからない。正面、左右、そしてちょっと無理して後ろ側からも、時間をかけて鑑賞。
しかし、よく見れば見る程、これが本当に写楽が描いたものなのかと、疑問が湧き出てくるのを抑えることができなかった。
斯界の第一人者が鑑定をしているのだから、間違いはないのだと思いたいのだが、もともと肉筆画の真贋判定は難しいと聞いたこともあり、また、図録の解説を読んでも、写楽直筆だという根拠が乏しいような気がする。
何といっても、描かれている四代目幸四郎の本蔵と、米三郎の小浪の絵そのものが、とても稚拙なのである。
着物の襟元の描線などは、恐る恐るなぞるような筆使いで、手が震えていたのではないかと思うほど。木版画の大首絵に見られるような闊達で勢いのある写楽とは別人のような出来映え。解説では「繊細」という言葉が何度か登場するが、はっきり言えば「下手糞」ということであろう。そもそも、写楽の大首絵(いや、後の細判等にしてもそうだと思うが)を表現するのに、「繊細」という言葉ほど似合わないものはないではないか。
版画の場合は、彫師の腕によるところが大きいとか、もともと写楽は素人(斉藤十郎兵衛)なので、上手い絵師ではなかったとか、テレビで誰かが解説していたのを聞いたりもしたが、何だか言い訳っぽいし、そうだとしても、その落差は大きすぎやしないだろうか。
幸四郎の顔そのものも、肴屋五郎兵衛を反転させただけにも見えるし、絵の構図も安直だと思うのだが・・・。
まあ、そうはいうものの、扇面の存在そのものは本物であり、ガラス越しに発せられる神秘性だけは、感じられたのであった。
 
実を言うと、今回の展示は、写楽よりも、他のコレクションの方がはるかに面白いし、貴重である。(写楽の名を利用しすぎる営業戦略も、どうかと思う。)
狩野山楽 「牧馬図屏風」は、その大きさもさることながら、一頭一頭の馬の仕草、動きが面白く、ずっと観ていても、全く飽きない。(↓)

それは、狩野克信・狩野興信による、狩野探幽筆の「野馬図屏風」の模本にも言える。馬だけでなく、水牛が水遊びしている描写も楽しい。更にこの絵は、空白の取り方が実に絶妙で、感心させられた。
勝川春章の五代目團十郎や初代三津五郎(?)の役者絵、歌麿の「深く忍恋」(↓)

他にも、豊国、国貞、北斎などなど。
豊国の「新吉原桜之景色」の五枚つづきは、大門を右手に、桜の植え込みを真横に配し、そこを行き交う花魁や禿、客人たちの様子が、きめ細かく描かれ、とても素晴らしい。(欲しいなあ)
帰りにショップで、図録の他、限定発売だという、写楽の肉筆扇面のレプリカ扇子を購入。(ニセモノじゃないか、と疑ってるくせに・・・)