すり足の六法 富十郎の弁慶

kenboutei2009-05-27

富十郎の矢車会、昼の部を観る。もちろん、会社は休む。
勧進帳』は、かつて物議をかもした日生劇場の武智演出バージョンとのこと。自分にとっては、武智演出はもとより、富十郎の弁慶自体が初体験である。富樫は吉右衛門義経に鷹之資。四天王は段四郎染五郎松緑尾上右近。二階東側で観る。
武智バージョンの弁慶は、七代目團十郎の錦絵にあるような、縞模様の能衣装が特徴的だが、台詞を一言一言、意味を噛みしめながら丁寧に言うのも、強烈な印象を残す。最近の富十郎は、台詞を平易に言う傾向にあるが(例えば、昨年の「対面」の工藤など)、今日の弁慶は、まるで現代劇を観ていると錯覚させるほど、わかりやすかった。
その台詞のわかりやすさは、一つには、この『勧進帳』全体に流れる、ゆったりとしたテンポによるものでもある。といっても、決して間延びした感じにならないのは、富十郎のイキの良さ、そしてそれに対峙する吉右衛門のイキの良さがあってのことだと思う。(間延びなら、通常の型で観るものの方こそ、間延びした印象を与える。)驚いたことに、このゆったりとしていて、しかしながら緊張感漂う台詞のテンポは、四天王から番卒にまでも及んでいた。
日生劇場の武智演出がこれと同じであったのかは知る由もないが、少なくとも、同じ型ばかりで食傷気味でもあった『勧進帳』が、実に新鮮に感じられたことは間違いない。この新鮮さは、ビデオで観た長十郎・翫右衛門の『勧進帳』以来である。
勧進帳の読み上げは、昨年11月に慶応大学で行われた「芸談を聴く会」で、富十郎自身が一部披露してくれたものが再現され、静かに読む部分と、高らかに張り上げる部分の調子が見事であった。
問答は、先述の通り、一言一句、説き聞かせており、観ている我々も、富樫同様、「かかる尊き客僧を・・・」と思わざるを得ない。
詰寄りでの金剛杖の持ち方は、左右逆手。(左手は、数珠の房が被ってしまい、ちょっと判別しにくかったが。)
義経を打擲する時の金剛杖は、羽左衛門の芸談の通り、額の上程度の高さでとどめていた。
七代目が創出し、九代目によって洗練され、そしておそらくはその弟子達によって変質していった『勧進帳』のルーツへと思いを馳せることのできる、静かながらもエキサイティングな空間。富十郎の、この舞台にかける意気込みが、ひしひしと伝わってくる。
さすがに後半はへたったのか、関を通った後の下手で、後見の錦之助が差し出した合引に座りそこね、前につんのめりかけ、観ている者をハラハラさせた。番卒との酒のやりとりも、座りながらの無理な形でこなしており、そのせいか、瓢箪を転がしたり鬘桶の蓋を頭に載せる件は省略していた。延年の舞は能掛かりで、派手な振りは抑えていたが、これも体力を考えてのことだったのかもしれない。
舞いながら、四天王らに扇で立ち去れと合図するところは、目立たぬようにこっそりやるのではなく、むしろ堂々と、特に義経から先にと、とてもわかりやすく手で花道方向を指し示していた。まるで息子の鷹之資のために、動く手順を教えているようで(さらには、富十郎の「行けー!」という声が聞こえてきそうな感じで)、これには驚きを通り越して、ちょっとおかしかった。
花道七三で、一行を見送った後、舞台へ一礼、そして、観客席の方に向き直り、一礼。
ここは本来、観客への礼ではないので拍手をするのはおかしいという考え方に、自分は与するのだが、富十郎は深々と礼をし、観客からは万雷の拍手。そしてさらに富十郎はその礼を受け止めるため、なかなか身体を起こさない。拍手の音はさらに大きくなっていく。
いつもの歌舞伎座とは違い、一番目の『三番叟』の素踊りで歌昇錦之助が舞台で礼をした時、決して拍手をしなかった今日の「矢車会」の観客も、ここでは、富十郎がやっと辿り着いた花道で、その感情の高まりを抑えることはできなかったのであろう。拍手否定派の自分も、二階から全体を眺めていて、この拍手には納得させられたのであった。
そして、いよいよ引っ込みである。傘寿記念のこの公演、八十歳の富十郎には、既に六法を踏む体力はない。腕を振り上げながら、すり足で滑るように移動していく。
武智歌舞伎の再現、すなわち『勧進帳』のルーツを探求する舞台で、六法を踏めずに終わるという皮肉な現実を受け止めながらも、いや、それだからこそ、このすり足の六法は、万感胸に迫るものがあった。
七代目幸四郎が七十七歳で『助六』を勤めた時、戸板康二が「年代記助六」と称したように、今日の舞台は、まさしく「年代記の弁慶」。その最後が、嵐のような拍手と大向こうの中で、すり足で消えて行く。派手な上半身の動きに反するかのような、下半身の静的な動きは、もはや最後まで弁慶を勤められない、「老い」という現実が突刺さってくる一方で、この年齢でここまで演じきった富十郎が引っ込む花道として、そして今日一日限りのいわば「富十郎の型」として、誰もが納得して受け入れたことだろう。ほとんど歌舞伎座で弁慶を演じることを許されなかった富十郎が、取り壊される歌舞伎座で最後に見せた、すり足の六法。そこに、今日の富十郎の弁慶の意味があったのだと思う。そして、この瞬間に立ち会えた幸福を、感じずにはいられなかったと同時に、これが歌舞伎を観続けることなのだと、改めて感じた。

もちろん、今日の舞台の感動は、ひとり富十郎によるものだけではなく、富樫の吉右衛門がとても良かったからでもある。
吉右衛門の富樫を観るのは自分は初めてであるが、最初の名乗りから、実にゆったりと大きく、気持ちの良い富樫。過剰に力が入っていた今日の大向こうに、語尾がかき消されて聴き取りにくかったのだけがちょっと残念。(大向こうといえば、富十郎の引っ込みの時に、「まだまだやれる!」という声が掛かったのも、一部では受けてはいたが、ここまでようやく辿り着いた今日の富十郎を観た時、そんなチャリっぽい声を掛けていいのかと、水をさされた思いになった。)
吉右衛門は、決してでしゃばることなく、礼を尽くして富十郎に対峙している。台詞廻しは、富十郎が武智歌舞伎としての工夫をしていたのとは異なり、基本的には通常のやり方であったが、間の取り方などは富十郎に合わせていて、その相乗効果で、山伏問答は大変面白いものとなった。上手に引っ込む時も、泣きすぎない。かつての富十郎の富樫の引っ込みを彷彿とさせる。(この時の弁慶が吉右衛門だったのだ。)
そして、大ちゃん、いや鷹之資の義経。若干10歳。能では子方の役とはいえ、歌舞伎では例がない年齢での大役。「芸談を聴く会」でこの配役を聞いた時には、親バカも極まれり、と思ったのだが、これがどうして実に良い出来で、驚かされた。
「逢坂の」で決まる型が、しっかり様になっている。そして台詞も大きくはっきりと聞きやすい。全体に台詞のわかりやすさを旨とする今日の舞台では、全く違和感のない台詞廻しである。
花道での台詞は、弁慶に向かって言う時は弁慶の方に身体を向け、四天王に言う時はそちら側に身体を動かす。これも丁寧な演出ということなのだろうが、その動きはちょっとうるさく感じた。(この時の富十郎弁慶は、花道のかなり揚幕寄りで立ち止まり、義経との距離も大きくとっている。)
さすがに子供には無理なのか、弁慶と富樫の一連のやりとりの時には、下手で合引に座っている。後見がせわしなく面倒をみる。関を越えて上手に移動した時も同じく合引に座す。下手の弁慶も座っており、主従が座りながら対面している不思議な光景となった。
「判官御手」は、ただの動作でしかなかったが、しかし全体的には、子役の域を越えて、一人の役者としての初役義経であった。
もう一つ特筆すべきは、この鷹之資の義経には、貴種流離譚を想起させるに相応しい、幼神性があったということである。丸々とした顔と体つきは、まるで久月五月人形だが、そこに漂う高貴な雰囲気は、ちょっと他の子供では真似できないものであり、これは富十郎によって純粋培養された鷹之資だけが持つ、貴重なキャラクターである。
従って、この歌舞伎における子方の義経は、単に子供で可愛いから成功したのではないことも認識すべきで、富十郎が親バカで思いついたのは確かだと思うものの、決して他の親バカ(或いは、孫バカ)役者が真似してはいけないことでもある。(せめて「連獅子」程度で止めてほしい。)
まあ、それはともかく、本当に貴重な『勧進帳』であった。感動の余韻はいまだ心に残っている。
(これだけの弁慶の後、富十郎は夜の部の『連獅子』を勤められないのではないかとさえ思っていたが、聞くところによると、『連獅子』も毛は振らなかったそうだが、とても良かったとのこと。)