『阿部一族』

kenboutei2009-05-15

神保町シアター
前進座の舞台『阿部一族』は、以前BSの特集で観て、その時の長十郎の台詞、「情けは情け、義は義だ」の台詞廻し、イントネーションにすっかり酔ってしまい、そこだけ繰り返し観ながら、自分でも真似て言ってみたりした記憶がある。その舞台は昭和30年代の新橋演舞場だったが、映画の方は昭和13年東宝熊谷久虎監督。前進座総出演で、長十郎、翫右衛門だけではなく、河原崎しづ江や市川莛司時代の加東大介も活躍。(国太郎はいなかったような気がする。)
城主が死んでも、追い腹で殉死することが許されなかった阿部一族が、だんだんと周囲から追い詰められて、ついには逆賊扱いされ、一族滅亡に至るという、森鴎外原作の話自体は、それほど面白いものではない、というか、むしろ嫌いである。そもそも当時の追い腹という風習そのものに嫌悪感を持つのに加え、それを許されない一家をいつの間にか村八分にしてしまう、社会の雰囲気・空気が嫌だ。
これが正しいことなのかと誰もが疑問に感じているはずなのに、周りがそうしているからと、思考停止状態で、右に倣えとなってしまう風潮は、今のインフルエンザの馬鹿騒ぎまで続く、日本人の愚かな一面のような気もするし、また、かつて日本が戦争に突き進んでいったのも、決して軍部の暴走だけではなく、そうした日本人のメンタリティが大きく後押ししていたのだと容易に想像ができ、そうであれば、現代だって、ちょっとしたきっかけで、あっという間に不穏な世情になっていくのだろう。何だか空恐ろしい。
それはともかく、若き長十郎、翫右衛門の鍔迫り合いを観ることができたのは、大収穫。まだDVD化されていないようなので、貴重な機会でもあった。
ただ、楽しみにしていた「情けは情け、義は義だ」は、翫右衛門も長十郎も熊本弁になっていて、「義は義じゃ」と訛っており、更に、当然ではあるが舞台とは違うので、張らずに普通のトーンだったのが、ちょっと肩透かしであった。(長十郎も、長刀を持って言うのではなく、部屋の中で妻からの伝言としてつぶやくだけだった。)
翫右衛門が、死んだ父親の真似をしながら弟たちに盃をついで回る場面は、その真似顔が、どこかコロッケに似ていて、おかしかった。
加東大介が死体を埋めるために掘り続ける穴に落ちた女中から舞い上がる土埃や、ラストの俯瞰でとらえた阿部家の焼け跡の煙などに、ドキュメントタッチの映像美を感じた。