三月国立劇場 『魚屋宗五郎』通し

kenboutei2009-03-22

どう工夫しても、東京マラソンのコースにぶつかり、迂回してもなかなか三宅坂には行きつけないということがわかり、自転車はあきらめ(雨が降るという予報もあったし)、地下鉄で行く。(メトロが東京マラソンの協賛なのも、頷ける。)
水天宮前の駅まで、そのコース沿いを歩いてみる。まだ午前10時過ぎだったが、既に車椅子ランナーが折り返しで戻って来ていて、沿道はその都度盛り上がっていた。東京マラソンは、一種のお祭りで、見物客にとって、ランナーは山車のようなものなのだろう。
それはともかく、今月の国立は、花形歌舞伎。孝太郎と松緑で、『新皿屋舗月雨暈』の通し。いつもの「魚屋宗五郎」の前に、いわゆる「お蔦殺し」がつく。もちろん「お蔦殺し」の方は、自分は初めて。(前進座のビデオで、一部を観たことはあるが。)
序幕の「お蔦部屋の場」が、面白かった。孝太郎のお蔦に、梅枝のおなぎ。趣向としては『鏡山』の尾上とお初だが、いつもの上演だけでは理不尽にしか思えない、お蔦の死について、お蔦自身もある程度覚悟していたことがわかって、その分、殺した殿様の罪が相殺されている。(次の殺しの場でも、酒の勢いと典蔵らの謀略を強調し、同様の効果を与えている。)
梅枝は、顔の長さが現代の若者っぽくなく、逆に言うと、古典味を期待できる顔になってきたのが良い。
孝太郎のお蔦。「魚屋宗五郎」は何度も観ているが、実際のお蔦を舞台上に観るのは今回が初めて。孝太郎のお蔦は、「鏡山」の尾上と「番町皿屋敷」のお菊を足して二で割ったような感じ。お蔦にそういうイメージは持っていなかったのだが、意外と違和感はなかった。
次の殺しの場で登場する磯部の殿様の友右衛門が、大いに健闘していた。ただの短気な殿様ではなく、それなりにお蔦のことを思い、不義や茶碗を割ったことで怒りに達するという理屈に沿って、きちんと演じていた。シチュエーション的には、ここで「番町皿屋敷」になりかけるところであるが、それを回避した演出になっていたのは、正解だと思う。(いたずらに、お蔦への愛を強調していたら、収拾がつかなくなるだろう。)
松緑初役の宗五郎は、まだ歯が立たないといった感じ。声の幼さは仕方がないにせよ、会話の間がどうしても落ち着かない。まあこれは、他の役者とのアンサンブルなので、松緑一人のせいではないが、孝太郎のおはまが、割合に様になっていたのに比べても、もう少し工夫の余地はあったのではないか。
酒を呑むところは、肩を揺らし過ぎる。酔いの芝居は、まだ芸ではなく、酔っぱらいの形態模写に近い。感情表現が、類型的になりがち。
引っ込み時の花道での見得は、結構大きくて良かった。
亀寿の三吉は、実は期待していたのが、平凡だった。
最後の「磯部邸」は、玄関先も庭先も凡庸。宗五郎の例の「酔って言うんじゃございませんが」(今月のポスターにも載っている)の台詞は、全然響いてこなかった。
それでも、全体には「お蔦殺し」をつけたことで、割合まとまりのある面白い芝居になったと思う。今後も、是非通しで出してもらいたい。できれば、初演の五代目菊五郎のように、お蔦と宗五郎を二役でやってくれたら嬉しいが。(今の役者だと、菊五郎勘三郎くらいかなあ。)
帰りももちろん地下鉄。午後3時過ぎ、既に交通規制は解除されていた。