2月国立劇場・文楽公演 一部・二部

kenboutei2009-02-08

三宅坂。今日は一部と二部を観る。どちらも初見の演目(たぶん)。そしてどちらも、文学的な戯曲の面白さを堪能。
第一部
『鑓の権三重帷子』近松の『鑓の権三』。妻敵討ちの話は、ついこの間、今井正監督の映画『夜の鼓』(これも近松の『堀川』だが)を観たばかりだが、やはり人形浄瑠璃で観る方が、味わいがある。
「三人の子の親でも華奢骨細の生まれ付き、風しのばしく床しくの、三十七とは見えざりし。」のおさゐは、十三歳になる娘の婿として、表小姓の鑓の名手・権三を考えているのだが、ひょんなことから自分自身が権三との不義を言い立てられ、結局権三とともに妻敵討ちにあう。
そこまでの話の運びもうまいが、婿取りさせようとする娘のお菊の髪型を気にかけたりする、極めて日常的な会話にこそ、近松の文学性が感じ取れる。
「留守宅の段」を語った津駒大夫が良かった。次の切場「数寄屋の段」も、綱大夫病気休演とのことで、津駒大夫が代演。一度盆が廻って、再び同じ太夫が出てきたので、ちょっと驚いた。さすがに津駒もこの段は、四苦八苦していたようだ。床本の言葉と違って語った箇所もいくつかあった。
人形では、おさゐの文雀が、年増の色気たっぷりで、とてもよかった。
第二部
『敵討襤褸錦』文耕堂の『敵討襤褸錦』(いわゆる「非人の敵討」)は、敵討ものの決定版と聞いたことがあり、一度は観たかった作品。こちらは、近松とは趣きが異なり、チャンバラ映画の原点のような、活劇的な面白さがあった。
共同使用している井戸を境として隣り合う家同士が、敵味方となってしまい、愛し合う男女が引き裂かれてしまう。自害する女に、隣家の男が井戸の水面を介して別れを告げる場面など、実に心憎い演出。
愛する男女の家同士が敵対するという構図は、近松半二の『妹背山婦女庭訓』にも通じる設定であるが、『襤褸錦』の方が30年以上も早い。(ともに三好松洛が合作者で名を連ねているのは、興味深い。)
床では、実はあまり期待していなかった、切の「大安寺堤の段」の住大夫が良かった。時代物を語るには、もはや声量もないが、それを老練な技巧で補っている。その巧みさに感心した。
錦糸の三味線も絶妙。柔らかな音色で、住大夫との息を合わせている。「闘う三味線」の清治とはまた違った、合三味線の行き方のようなものを、錦糸からは感じるのであった。