『ジェローム・ロビンスが死んだ』

正月帰省中に読んだ本。

ジェロームロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り

ジェロームロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り

津野海太郎の本は初めて読む。ミュージカル映画について、『踊る大紐育』のような「底ぬけの幸福感」を得られる50年代までの作品が好きで、『ウエスト・サイド物語』以降のミュージカルが好きになれなかったと導入部で語っているのだが、その点は自分の嗜好と全く同じで、更に『ジョルスン物語』に夢中になったという点なども含めて、いちいち共感しながら読み進めた。また、ジェローム・ロビンスが赤狩り時代の密告者側だったことを知らなかったことから、真相を追求していこうとする、その関心の持ち方も、何だか他人事ではなく、著者に親近感を持った。(そういえば最近、長十郎についてあまり調べていないなあ。)
踊る大紐育』のオリジナルである舞台版が映画とはかなり異なることや、赤狩りのスキャンダルに巻き込まれた仲間でも決して見捨てないジーン・ケリーの男らしさ、恐慌後のニューディール政策における文化・芸術運動が社会主義に近い性質だったことなど、ジェローム・ロビンスの密告を軸にしながらも、その周辺の興味あるエピソードを、思うがままに寄り道していく語り口が非常に面白い。これは、出版社のPR誌への連載という形をとっていたからでもあるのだろう。
そうしてあちこちに話題が飛びながら、著者が浮き彫りにしたのは、アメリカという自由主義の国においても、結局はソ連や中国のような共産国家と同じように、国を統一していくためには、自由であるべき思想信条をも弾圧していくということである。それも、自由主義を標榜している分だけ、巧妙に、陰湿に。

だからといって、アメリカ合衆国ソ連とちがって成熟した民主主義国だったからさ、などと気楽に割り切ってしまうことはできない。ナマな暴力のかわりに、アメリカには放映がはじまったばかりのテレビをはじめとするマスメディアの過熱報道、しつこい脅迫、マイノリティ差別とむすびついた大衆ナショナリズム、芸能界やジャーナリズムからの追放といった陰にこもった心理的抑圧(暴力)があった。つまりアメリカにおける異端狩りは、中世的というよりも、高度化したメディアの力を最大限に利用した内向的・偏執的なリンチという、より現代的なかたちをとったのである。いまならそこにインターネットがくわわる。ソ連型とアメリカ型、どちらの暴力がつらいか。(略)どちらもつらいだろう、としかいいようがない。
このリンチの典型がnaming namesだった。(P310-P311)

そのマスメディアによる異端狩りに加担する一人が、エド・サリバンだったということも、初めて知った。
ユダヤ人でゲイで共産主義者という三重のマイノリティであったジェローム・ロビンスが、体制に靡き、密告後は固く沈黙を守ってきたその心の奥を、著者は当時の社会状況やロビンスのエンターテインメント界での交友関係(バーンスタインダニー・ケイとのつながりも面白い。)等を徹底的に洗い出して、探ろうとする。
晩年、ロビンスは、その自分の自伝劇を作り上げようとするが、結局うやむやのままやめてしまった。その選択についての著者の示唆が、味わい深い。
それにしても、歴史は繰り返すというが、昨今の金融危機における世の中の対応をみると、今だってあの時代からちっとも進歩していないことがよくわかり、全く呆れてしまう。