国立劇場 9月文楽公演

kenboutei2008-09-23

今度こそ、の国立小劇場。
第一部
『近頃河原の達引』
『口上』
『本朝廿四孝』
昨日までの旅の疲れが出たのか、開始前から眠くてしょうがなく、一部は殆ど寝ていた。(ちゃんと最後までおきていたのは、15分程度の清之助の豊松清十郎襲名口上だけだった。)
住大夫と綱大夫の二人で切場を分け合うという、贅沢というか、もったいないような「猿回しの段」も、夢うつつの中で聴いていた。(とても気持ちよく眠れたが。)
「口上」は、簑助の挨拶に感涙。勘十郎襲名時と同じ、わずか一言であったが、だいぶスムーズな言い回しになっていた。
清十郎襲名披露公演の「十種香」は、再び熟睡。「狐火」もうつらうつらだったが、清十郎の八重垣姫は、動きが控え目であった。一方で、ご馳走で清十郎の左を遣っていた、勘十郎の動きがとても元気だったのが、唯一残っている印象。
・・・舞台の感想というより、睡眠記録だな。
 
第二部
『奥州安達原』二部は、眠気もおさまり、『奥州安達原』の半通しを、充分楽しめた。
特に面白かったのは、初めて観る、「一つ家の段」。安達原に住む老女岩手が、迷い込んだ旅人の腕を食いちぎり、身重の女の腹を裂いて、赤子を取り出したりする。(赤ん坊は、文字通り、血潮で真っ赤な人形が使われる。)
残忍なシーンが、人形で行われると、人形とわかっている分、あり得ないだろうという気持ちになって、笑いも起こるのだが、一方で人形で表現されているものは、(例えば血まみれの赤ん坊など)案外生々しいので、何とも不思議な気持ちになる。こういうのに喜んでいた観客というのも、どこか退廃的だったのかなあ。(別に幕末の芝居ではないのだが。)
床の方では、袖萩祭文もある「環の宮明御殿の段」が、なかなか。咲甫、文字久、千歳、英と語り分けていくのだが、どれも充実しており、今後の文楽を支える大夫陣の、力比べのようで、聴き応えがあった。
文字久大夫は、「一つ家」の奥も、咲大夫休演の代役で語る。一層、住大夫の語りに似てきた。特に、台詞の部分の音遣いなどは、非常によく住大夫のそれを写し取っており、彼が住大夫の弟子であることが、聴くことだけでわかるようになってきたのは、大きな成果だと思う。(山城少掾に似ている越路大夫、越路に似ている住大夫という、芸の引き継ぎの流れに、文字久大夫もようやく連なったと思うのである。)
この半通しは、できれば歌舞伎でも観てみたいなあ。亀治郎が、袖萩と貞任と岩手の三役を演るなんて、面白いと思うのだが。