高野悦子『二十歳の原点』

昨年、映画を観て興味を持ち、さっそく購入。かばんの中に入れて、通勤時に読んでいたのだが、日記として毎日書き綴っている彼女の言葉が、(その後の結末を知っているだけに)重く、つらく、一日分を読むだけで胸が一杯になり、なかなか前へ進まなかった。(かばんを持たずに通勤することも多かったせいもあるが。)
当時の世相に巻き込まれて行く様子は、今から眺めると実にやるせなく、時代の思想やイデオロギーの罪深さすら覚えてしまう。
彼女の悩みは、この世代の女の子(男の子も)なら、誰でも持つものだろうが、もしこの頃にブログなどがあったら、どうだっただろうかと、ふと考えてしまった。学生運動の挫折や、恋の不成就などで、だんだん孤独感に苛まれていくのを、ただ日記として読むだけでなく、何とか手を差し伸べたいと、何度思ったことか。また、彼女の優れた表現力(その詩のなんと素晴らしいことか。)や、内に秘めた溢れんばかりの感情を、大学ノートだけでなく、ネットの世界で広く吐露できていたなら、その孤独感は少しは癒されていたかもしれない。
1969年6月22日に残した詩で、日記は終わる。

旅に出よう
テントとシュラフの入ったザックをしょい
ポケットには一箱の煙草と笛をもち
旅に出よう
 
出発の日は雨がよい
霧のようにやわらかい春の雨の日がよい
萌え出た若芽がしっとりとぬれながら
 
そして富士の山にあるという
原始林の中にゆこう
ゆっくりとあせることなく
 
大きな杉の古木にきたら
一層暗いその根本に腰をおろして休もう
そして独占の機械工場で作られた一箱の煙草を取り出して
暗い古樹の下で一本の煙草を喫おう
 
近代社会の臭いのする その煙を
古木よ おまえは何と感じるか
 
原始林の中にあるという湖をさがそう
そしてその岸辺にたたずんで
一本の煙草を喫おう
煙をすべて吐き出して
ザックのかたわらで静かに休もう
 
原始林を暗やみが包みこむ頃になったら
湖に小舟をうかべよう
 
衣服を脱ぎすて
すべらかな肌をやみにつつみ
左手に笛をもって
湖の水面を暗やみの中に漂いながら
笛をふこう
 
小舟の幽かなるうつろいのさざめきの中
中天より涼風を肌に流させながら
静かに眠ろう
 
そしてただ笛を深い湖底に沈ませよう

・・・一行一行、ゆっくり読むうちに、不覚にも涙が浮かんでしまった。
彼女の自死から約40年後の命日に、読み終えた。

二十歳の原点 (新潮文庫)

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