十一月歌舞伎座・夜の部

kenboutei2007-11-23

『宮島のだんまり』福助歌昇錦之助歌六弥十郎、高麗蔵、團蔵、萬次郎などなど、中堅どころの役者勢揃い。公家悪から赤姫まで、歌舞伎の役どころが一目でわかるレビュ−。福助の袈裟太郎の、最後の引っ込みが面白い。女形で六方を踏むのが珍しかったが、福助は、こういうの好きなのだろうなあ。よく似合っていたように思う。
『山科閑居』筋書によれば、魁春のお石と菊之助の小浪以外は、みな初役という、九段目。その中では、何と言っても芝翫の戸無瀬が楽しみであった。
これが初役というのが信じられないくらい、素晴らしい、見事な戸無瀬。雪の花道を慎重に歩いてくるその横顔が、すでに何ともいえない風情を漂わせ、圧倒的な存在感を見せる。本舞台に入り、二重の中央に鎮座する様は、まさしくこの芝居を支配している貫禄があった。
一番良かったのは、「鳥類でさえ」のところの、刀をトンとついて決まっての、顔の表情。古怪で大きく、七代目宗十郎や六代目梅幸の舞台写真を見ているような、つまりは、歌舞伎の過去の名優に連なるに値する、立派な表情に、うっとりさせられた。玉三郎福助のような見た目の美しさとは本質的に異なる、歌舞伎の女形の真の美しさが、そこにあった。
この後、刀を持ってからの一連の動きも良かった。久しぶりに、芝翫の格の高さを見せつけられた思い。一昨年の『野崎村』のお光よりも、更に優れた、芝翫一世一代の、戸無瀬である。
残念ながら、魁春のお石は、この戸無瀬の前では全く歯が立たなかった。最初に出てきたところで、位負け。今月の座組であれば、菊五郎にやって欲しかった。
芝翫に伍して良かったのは、菊之助の小浪。終始控え目にしていながら、力弥と添い遂げたい思いが、しっとりと演技に滲み出ており、観客の心情に訴えかけてきた。最近の菊之助の中でも、特筆すべき出来。(自分の中では、『十二夜』の琵琶姫よりも良い。)
幸四郎の本蔵は、老いを強調しすぎて、力強さがない。声量のなさも、この義太夫狂言では不利となった。ただ、刀を手にした時、菊之助の小浪と顔を見合わせる場面では、小浪に対して、自分が死んで力弥と祝言させるから心配するな、といった心情をうまく表していた。
吉右衛門の由良助、染五郎の力弥は一通り。
やはりこの場は、芝翫菊之助親娘に尽きる。
それにしても、昼の部の『吃又』といい、この九段目といい、人の家に行って頼み事をして、断られたら、目の前で死のうとするのだから、何とも迷惑な話である。
昼の部で使った仮花道は、夜の部では全く出番がなかったが、文楽の逆勝手の「雪転しの段」をつけ、仮花道から由良助を出す、なんて演出をしても面白いと思ったのだが、まあ、無理な話なんだろうな。
『土蜘』菊五郎富十郎左團次芝雀菊之助などなど。『宮島のだんまり』同様、色々な役者が出てきたが、仁左衛門梅玉を番卒で登場させるという、贅沢というより、勿体ない使い方。顔見世を、本当に「顔を見せる」ものとしか考えていないようだ。
富十郎の頼光が立派。息子の大ちゃん、いや鷹之資の太刀持も、達者な役者ぶりを見せた。
三人吉三松緑の和尚、染五郎のお坊、孝太郎のお嬢。「大川端」だけだが、必要だったのだろうか。やはり顔見世だから?・・・やれやれ。