『江戸音楽の巨匠たち』

紀尾井小ホールで、『江戸音楽の巨匠たち〜その人生と名曲』。
3回シリーズで今回がその第1回。たまたまネットでこの公演を知り、特に竹内道敬と渡辺保の対談に惹かれて購入。
今回のテーマは「義太夫節」。ということで、綱大夫、清二郎による『国性爺合戦』の「楼門」が出た。
最初に1時間の対談。渡辺氏が竹内氏に話を聴くという形で進められた。以下、竹内氏の話で印象に残ったもの(というか、覚えているもの)。

  • 三味線の伝来は、沖縄に上陸してから本土に来たと言われているが、台風でもあるまいし、一つのルートだけではないだろう。沖縄だけでなく、本土にも同時並行的に渡っているのではないか。現に、本土側で、板に糸をとりつけただけの、三味線の原型のようなものを見たことがある。沖縄から順番に来たのなら、何故、沖縄にある三線のピック状のものが今の三味線の撥に変わったのか、説明しにくい。
  • 義太夫節肥前節、大薩摩節などいろいろな流派があるが、この違いは、今なら歌手の違いのようなもの。(渡辺;それは、美空ひばり北島三郎の違いのようなものか? 竹内;まあ、そういうこと。)
  • 竹本義太夫は、農作業をしながら、近所でやっていた浄瑠璃を口ずさんでいて、その声量を見込まれて太夫になったと言われているが、これもどこまで本当か。だいたい、農作業しながら、浄瑠璃なんか語れない。それほど農作業は大変なのだ(この後、竹内氏は渡辺氏に、「農作業したことあるか」と聞き、渡辺氏が「疎開中に手伝ったことがある」と答えると、「そんなの農作業のうちに入らない」と一喝したのが、おかしかった。)
  • 清水理兵衛(義太夫の師匠)は、「しみず」ではなく、「きよみず」と読む。
  • 『曾根崎心中』はやはり画期的。それまでの霊験物などから、世話物(当世風)の演劇の登場。
  • 当時の50歳は、今の年齢では70歳くらいか。「曾根崎」は近松51歳、義太夫53歳。「国性爺」が近松63歳。二人とも、いかに高齢で働いていたか。
  • 国性爺合戦』は、近松の作だが、義太夫は既に没していた。(初演は政太夫。)しかし、人気演目であるため、絶えることなく上演されており、当時のままの音曲が今に残っていると言われている。従って、今回の演目に選んだ。

休憩後、「楼門」を聴く。綱大夫、緊張していたのか、声が甲高く弱々しかった。三味線の音に負けている箇所も何度かあり、正直、つまらなかった。(人形付きなら、また違った印象だったかもしれないが。)
このシリーズ、3年間続けるらしい。
終演後、ホールで偶然お会いした、知り合いの方々と居酒屋で一献。楽しい時間を過ごさせてもらう。