星新一の底なしの孤独:『星新一 一〇〇一話をつくった人』

実家に帰る汽車の中、到着寸前に読了。おかげでいつもは長く感じる車中の時間が全く気にならなかった。

星新一 一〇〇一話をつくった人

星新一 一〇〇一話をつくった人

非常に優れた、一人の作家の評伝であり、著者の取材力に敬服する。
星新一が、星製薬の息子で、父親の死後、一旦会社を引き継ぐが、経営困難となり社長を辞め、作家に転進したということは、本人のエッセイ等でも度々触れられ、ファンなら誰でも知っていることではあったが、星新一自身が「あの頃は思い出したくもない」とよく語っていたように、その詳しい経緯については、あまり知ることができなかった。また、星新一の作品自体と、そうした本人の属性とは本来関係ないはずであるという意識から、読者の興味の対象外でもあった。父親が役人と戦う『人民は弱し官吏は強し』や、祖父を描いた『祖父小金井良精の記』なども読んだが、そういうノンフィクションより、わくわくするショートショートがもっと読みたいと、当時は思ったものである。
しかし、この本を読むと、星新一という作家の成り立ちが、いかに「星製薬の御曹司」という属性に強く影響されていたかが、実によくわかった。そしてそこから星新一がいかに逃れようとしていたのかも。
大企業の二代目が会社をつぶした、というより、逃げ出したという事実について、後の読者は全く気にしてはいなかったし、1000編以上も生み出されたショートショートは、それとは無関係な作者の想像の世界であると信じていたはずだったが、最相葉月が明るみにした事実は、あの浮き世離れしたイメージの星新一とは異なる、どの作家にも通じる、自己との葛藤であった。
デビュー作の『セキストラ』が、自殺した友人を悼む文章に通じていたり、大学時代に寄稿した実質的な処女作『狐のためいき』が、当時付き合っていた女性のことを暗示しているなどという指摘は、実生活の匂いを作品から徹底的に消そうとしていた星新一のその後の創作姿勢を考える上でも、非常に興味深い。
父親・星一が死んだ後の、会社後継から手放すまでの経緯は、実に圧巻であった。自分も会社の経営層を近くで見ることがあるが、会社というシビアな世界で生きるには、星新一はあまりに無力過ぎた。人物的には魅力があっても、経営能力(それは単に数字が強いというだけでなく、ある程度の社交性や政治力なども含まれる)が備わっていない場合、会社にとってそういう人物は(トップに立つならなおさら)、不要なのである。と同時に、そのような不適格者が、大勢の従業員を抱えた大企業のトップとして債権者に追われることが、本人にとってどれだけ苦しいことであるか、それは想像を絶する。

今日あたり死のうかな 夜の空に手を上げて神を呼ぶけれど 答えがない。なにもそんなに急ぐことはないじやないか、いつでも来られるのに。と安心感に満ちていつてくれるはづでせう。女の人は力強くつかんでくれる男の人を待つことができる。けれど私たち男はいつまでまつても。(P189)

社長は退任したが、副社長として会社に残っていた昭和31年の日記に綴られていたというこの文を読むと、もはや生きる道が小説にしかなかったという星新一の後の言葉が、実にリアルに理解できるのであった。
そして、この頃の苦悩が星新一自身の性格にも大きく影響したことも、友人の証言として、作者は指摘している。おそらくそれは、性格だけではなく、ショートショートという世界に突き進んだことにも影響しているのだろうと、自分は思った。
・・・突拍子もない発言や独特の表現で、場の雰囲気を一変させる、愛すべきキャラクター・星新一には、誰にもその内奥を覗かせることを許さない、底なしの孤独があったのだと思う。
大きな賞をもらえず皮肉に走るのは、作家である以上珍しいことではないが、村社会のようなSF界でも天皇のように祭り上げられ、年下の筒井康隆が自分の前を走り出して行く中で、自分の作品が結局理解されずに終わってしまうのではないかという恐怖が、晩年の星新一にはあったのだろう。いや、晩年だけではない、デビュー当初から、その内面は決して覗かれたくない、作品やエッセイはあくまでスマート・軽妙で通そうとしていた、そのつらさは、おそらく誰にもわからなかったのではないだろうか。
この評伝は、星新一が生きていたなら絶対に書かせないものであったはずだ。しかし、それにもかかわらず、星新一自身は、自らの日記や創作メモまで、実に良く残していた、その意味は、きっといつか誰かにはわかってほしいという、強い期待があったのであろう。
その屈折した孤独感が、何故か自分にはよくわかるような気がする。

月のきれいな夜だった。言葉も絶するほどに美しい月だったので、タモリは持参したレコードを大音量でかけてみた。(中略)富田勳がシンセサイザーで奏でる、ドビュッシーの「月の光」。壮大な宇宙を思わせる幻想的な調べにみな静かに聴き入った。
演奏が終わると、新一は、目に涙をいっぱい浮かべていた。そして、ふと言葉が洩れた。
「こんなに感激したことはない……」(P534)

伊豆のタモリの別荘で、音楽に涙する星新一の胸に去来するものは、何だったのだろうか。


星新一デビュー前後の、日本SF草創期の話も、実によくまとめられていて、非常に面白かった。
矢野徹が、自分の思っていた以上に星新一のデビューや当時の日本SF創世に関わっていたこと、『宇宙塵』の柴野拓美と『SFマガジン』の福島正美の対立、福島正美とSF作家たちとの対立など、知らない話も随分あったのと同時に、時代のエネルギーのようなものも感じ、昔のSF小説も、改めて読んでみたくなった。(実は星、小松、筒井の3巨頭以外はあまり読んでいないのだが。)


それにしても、これだけの評伝を作者は見事にまとめたものだ。対象となる星新一との距離感も絶妙で、過度に感情移入せず、冷静に見つめている点は、ある意味、星新一の創作態度に近いものも感じた。
それは逆に、もっと突っ込んで書いてほしいという部分もあったということで、例えば、星新一が作家デビューした以降の、星製薬関係者の反応や、作者も調べきれなかったという、戦時中の星製薬の阿片をめぐる動きなど、これだけのことを明らかにしてくれたが故に、もっと知りたいという気持ちになってしまった。
とはいえ、自分の一番好きな作家のことを、これだけ書いてくれたことが、何より一番嬉しい。
ありがとう、最相葉月
(意外なところで、自分の勤めている会社名が出てきたことにも驚いた。)
 

ちょうど実家に戻ってきたところなので、ほとんど物置然としていた部屋の奥の書棚から、新潮社の「星新一の作品集」全18巻を取り出し、宅配便で東京へ送った。とりあえず、『人民は弱し官吏は強し』をもう一度読んでみたい。
(今回の帰省は、これだけでも有意義であったかな。)