「江戸の誘惑」ボストン美術館・肉筆浮世絵展

江戸東京博物館でやっている、ボストン美術館所蔵肉筆浮世絵展「江戸の誘惑」にようやく赴く。隣の国技館が千秋楽ということも手伝ってか、結構な賑わいであった。
約70点の肉筆画を、3時間かけてじっくり堪能。
アメリカ人の医師が明治期に持ち帰った700点程の肉筆画の一部だそうで。その状態の良さにまず驚く。約300年前の作品が、色鮮やかに目の前に表れると、それだけで感動してしまう。
タイトルに「江戸の誘惑」とつけただけあって、江戸期の風俗がよく描かれた肉筆絵の数々が展示され、木版画の浮世絵以上に、市井の人々の生活や、自然、女性の美しさなどがリアルに伝わってきた。
まず一番に感心したのは、勝川春章の「春遊柳蔭図屏風」の六曲一双。寛政期の作で、花見をしたり、釣をしたり、春ののどかな一日を、思い思いに楽しむ人々の様子が描かれている。どの顔もおだやかで平和な風景であり、当時の遊山の一場面が見事に切り出されている。この屏風絵や、歌川豊春の「向島行楽図」などを観ると、例えばフィリップ・コレクションにあるルノワールの「舟遊びする・・(何とか)」などを有難がるより、よほどこっちの方が楽しいと思えるのだが。
(↓歌川豊春「向島行楽図」)

また、菱川師宣の「芝居町・遊里図屏風」にも圧倒される。これは貞享から元禄期にかけての作なので、まさに300年以上前のものであるが、金雲の隙間から垣間見るようなパノラマで描かれた吉原と芝居町の様子は、真に興味深い。特に、右隻に描き出された、江戸中村座(看板に猿若勘三郎の名があり、鶴の紋の櫓の一部が見える。)の様子は、当時の芝居を本当に観ているような気分にさせてくれる。
木戸口には客引きが立ち、その背後にある看板には「武蔵国角田川」と「太平国源氏門出」という狂言名題が書かれている。鼠木戸を入って右手には観客席の土間があり、客が舞台を眺めている。(赤ん坊に乳を与えている母親なども描かれている。) 舞台では、「四季大おどり」と題された舞踊が披露されている様子。着飾った役者連中が、三味線と後ろに控えた下座に合わせて、一列になって手踊りをしている。この列は舞台中央から下手の橋懸かりまで続いているのだが、橋懸かりの方から舞台側の方へ、左から右へ目を追ってこれらの役者の絵を観ると、本当に彼らが踊っているように見えてくるほど、生き生きと描かれており、今にも役者の息遣いが聞こえてきそうであった。
さらに、橋懸かりの向こうの揚幕の奥、能舞台における鏡の間に位置するところが、楽屋のようになっており、そこでは、次の出番を控えた役者が鬘や鎧をつけたりしている姿まで描かれているのである。
元禄歌舞伎(か、それ以前の歌舞伎)を想像するのに、これほどリアルな絵は他に観たことがない。この一隻だけで、相当時間をかけて眺めていたなあ。
(↓菱川師宣「芝居町・遊里図屏風」一部)

さらに、いわゆる「懐月堂美人」に出会えたことも、自分にとっては新たな発見であった。懐月堂安知、松野親信の美人画が展示されていたのだが、ともに丸みを帯びた顔の輪郭に、切れ長の目、肉感的な躯に派手な模様の着物を纏っている。どこか牧歌的でもあり、健全な色気も持合わせているのが気に入った。これも宝永年間頃の作品とのことだが、その保存状態は完璧で、たった今描き終えたようにも見えるほど鮮やかな色使いがそのまま残っている。つい先月まで国立博物館で、懐月堂派の特別展示をしていたそうで()、気づくのが遅かった。
今回の展示は、他にも歌麿、春信、豊国ら錚々たる浮世絵師の、極めて質の高い充実した作品が揃っているのだが、その中でも、やはり北斎は一人異彩を放っていた。
入場して最初に目にする「朱鐘馗図幟」の、木綿の幟に描かれた鮮やかな朱色の力感(↓)、

「鏡面美人図」の女性の後ろ姿をメインに、顔は鏡で見せるという粋な構図(↓)、

枕屏風に描かれた「鳳凰図屏風」の、サイケ調をも超越した、派手な色使い(↓)、

他にも、提灯に描かれた龍虎(↓)、

袱紗に描かれた唐獅子(↓)

などなど、もう言葉はいらない、実物にただただ圧倒されるだけだ。
昨年の国立博物館での北斎展今年のアメリカでの北斎展で、充分北斎は堪能したつもりであったが、まだまだ、こんなにも素敵な北斎の作品に出会えるとは、何と幸せなことであろう。日本の美術が海外に流出していったことは本来嘆かわしいことであると思うが、ここまできちんと保存してくれていたことを、今では感謝すべきかもしれない。(むしろ、日本では震災や戦災で残っていなかった可能性の方が高い。)
さらに、今回の展示で感動した北斎の絵に、「李白観瀑図」がある(↓)

巨大な滝を眼前にして佇む李白の後ろ姿。背景に雄大な自然を描き、手前に小さな人間の背中を描く構図は、あのサックラー美術館で一目惚れした、「富士と笛吹童子図」と全く同じ。(↓)

どちらもメルヘンチックで、何とも味わいがある。この二つの絵の共通性を確認できただけでも、自分にとっては意義あることであった。
また、北斎の娘の応為が描いた「三曲合奏図」も面白かった。北斎以上に近代的で、躍動感が漲っている。
豊国描く三代目歌右衛門の、お馴染みの似顔も嬉しい。(↓)

・・・まだまだ、書き残したいことは沢山あるのだが、それを続けていると、全ての作品に言及してしまいそうだ。それほど、今回の展示は、一作品たりとも、簡単に通り過ぎることのできない、高いクオリティであることは間違いない。
まあ、後は一人で図録を眺めて楽しむだけにしよう。(この図録の解説も読み応えがある。)