「舞曲扇林」第二号覚え書き

備忘のため、一部抜粋。

p18
彼(永井荷風)は左團次に云っていた。
「そりゃあねえ、僕だって、今、どの株を買っておけば儲かるぐらいのことは解るけれどねえ…あの株上ったの、下ったのと云うようなことがどうもいやなんですよ…」
 左團次も、いつものにこやかな表情で、うなづいていた。

p20
 彼(左團次)は、最後期中村勘三郎を襲名すべく、その用意を整えた。これは左團次という名跡は市川門下である。中村勘三郎は座主の家柄で質もちがえば数段と上位である。自らそのくばり物なぞあつらえたりしていたが、六十一歳にして歿してしまった。