前進座 五月国立劇場

kenboutei2006-05-21

前進座の舞台を観るのは三年前の『髪結新三』以来。最近、前進座(並びに長十郎)に嵌りつつあるので、今回は、これまで以上に楽しみであった。南北と黙阿弥を同時に出すという大胆さもこの劇団ならでは。
『謎帯一寸徳兵衛』初めて観る芝居。『夏祭』の書替えで、後の『東海道四谷怪談』の萌芽が至る所に見られる。
嵐圭史の団七は、少し貫禄がありすぎる。どちらかというと日本駄右衛門っぽい。しかし、以前観た『寺子屋』の松王丸よりは魅力的であった。この人の定九郎は、きっと面白いのではないかとも思った。
お梶に國太郎。これまで國太郎は、そのきんきんした甲高い声が耳に障って、あまり好きになれなかったのだが、今日久しぶりに観ると、その口跡は殆ど気にならなくなっていた。むしろどことなくうらびれて寂しい佇まいが、松竹系(?)の女形にない独特なもののように思え、今後少し気になる存在になりそうである。二役のお辰の方は、仇っぽい役柄だが、こちらはまだまだ。
藤川矢之輔の義平次、中村鶴蔵の玉島平太夫が手堅い。
嵐広也がなかなか健闘。(彼は國太郎の弟なのか。)
お磯の山崎杏佳は、肌荒れが気になる。
梅雀の徳兵衛は、あまり活躍しなかった。
舞台では、序幕第二場の「本所石原の場」と二幕第二場の「入谷田圃の場」が良かった。
三三九度の水を川から汲むのに、短刀の鞘を使うなど、前進座の演出は芸が細かい。「田圃の場」での殺しでは、本水の雨。思ったほど迫力のあるものではないが、それなりの雰囲気は出ていた。
『口上』序幕と二幕目の合間に口上が入る。劇団創立七十五周年ということで、梅之助が一人で、劇団の歴史を紹介。シンプルだが、梅之助の人柄がそのまま伝わってくる、暖かい、良い口上だった。まあ当たり前だが、長十郎のことは触れず。
『魚屋宗五郎』これは、梅之助の一世一代ともいえる、素晴らしい宗五郎であった。後々、語り草になるのではないか。
まず、宗五郎の出が絶品。梅之助は、目がやや据わっており、口を半開きにして、花道を歩いてくる。妹が死んだことのショックと無念さ、これからどうしたら良いのかなど、様々なことが頭の中に浮かんできて、それに戸惑いすら覚えているというようなことが、一目でわかる。そして、その容貌は、やはり父の翫右衛門に似ている。
父親太兵衛や三吉が磯部の屋敷に抗議に行くべきだといきり立つのを諌める場面は、黙阿弥独特の謳い上げる台詞廻しが魅力なのだが、梅之助は、拍子抜けするほどあっさり語る。年齢的に声を張り上げるのは無理なのかもしれないが、むしろそうすることで、磯部の屋敷への感謝の気持ちが本当であること、そして、それなのに、妹は殺されてしまったという悲しさと怒りが、ストレートに伝わってきた。
全体に梅之助は、黙阿弥の台詞を自分の中で充分に消化してから、口に乗せている。七五調で酔わせるということを意識的に避けているようでもあり、実際に家の中で不幸があった時の身内としての台詞のように話していた。特に、腰元おなぎが来た時の一連の反応は、まさに喪主の行動であって、これが黙阿弥の芝居であることを一瞬忘れてしまった。
後で99年の国立のビデオ(梅之助60周年記念の舞台)を観直したが、梅之助は、続けて観直した翫右衛門のビデオ同様、黙阿弥調を高らかに謳っており、今日のような、しんみりとリアルな宗五郎ではなかった。
また、おなぎが妹の殺された経緯を話し、家族がいちいち大袈裟に「えっ!」と反応する場面も、ビデオに比べてかなり控え目であった。その方が良いと思う。
そして、この後、眼目の酔っぱらっていく場面となるのだが、自分は、この前までで充分梅之助の面白さを堪能していたので、ここは一通りといった感じ。(ビデオでも再確認したのだが、湯呑みで酒を飲むところは、梅之助は、湯呑茶碗の角度がやや中途半端のように思える。あれだと、酒を全部飲み干していないように見える。)
むしろこの場では、瀬川菊之丞中村靖之介、山崎竜之介らの芝居のうまさに感心していた。特に菊之丞がこれほど良い役者であったとは、知らなかった。お恥ずかしい。
一通り暴れて、花道で見得。この時の梅之助の形は何とも言えず綺麗で立派。大袈裟でなく、地味でもない。観客の反応も一番大きい。
梅之助が花道を引っ込んで幕。おはまが後を追う場面は省略。次の磯部邸も出さないのが前進座式である。(観客の一部には、これで終わり?という反応もあった。)
前進座の歌舞伎を観る回数はそれほど多くないのだが、これまで観てきた感想は、「わかりやすいが歌舞伎味が薄い。」というものであった。
しかし、今日の二つの芝居は、どちらも「わかりやすく、そして歌舞伎味も、濃くはないが、あった。」といったところか。
観客の反応も結構良く、歌舞伎を畏まって観ているという感じではなかった。松竹系では、猿之助歌舞伎に一番近いかな。
梅之助と梅雀、國太郎以外は、知っている役者もいなくて、役者で観る歌舞伎にとっては魅力に欠けると思っていたのだが、菊之丞や鶴蔵、靖之介など魅力的な役者も結構いるではないかと感じたのは、最近の前進座マイブームのせいだけでもなさそうである。
そして、あきらかに普段の歌舞伎見物とは異なる観客層の中、歌舞伎の持つ大衆演劇の側面を改めて考えさせられたのであった。(これが前進座を考える上での大きなテーマでもある。)
うーん、全然まとまっていないぞ。