会社休んだのに(1)北斎展へ

昼に起きて、モヤモヤしながらパソコンでネットを覗いていたら、今週末で「北斎展」が終わるということを知ってしまった。盛況でかなり混雑するという噂を聞いていたので、最後の土日に行くのはちょっと大変だと思い、急遽、これから行くことに決める。体調は悪いが、明日良くなるという保証もないし、まだ立っているだけなら大丈夫だろうと、会社を休んでいて、という罪悪感は胸に秘めながら、しかも自転車で上野へ。
東京国立博物館に着いたのは午後3時20分頃で、係員が入場に40分待ちと案内していた。ちょっと躊躇したが、ここまで来たのだからと、構内奥の真新しい建物の平成館まで、よろめきながら歩いて行く。広い庭園前にぞろぞろと長蛇の列。その後尾について、ぴったり40分後の午後4時に入館。
入場制限がかかるくらいなのだから、中へ入っても当然、人だらけ。美術館でこんな満員状態に遭遇したのは、やはり上野でやっていた「ジャポニズム展」(入社の年だったから、かれこれ20年近く前だ)以来。
世界中に散らばった500点を一堂に集めた画期的なイベントだけのことはある。期間中の入れ替えがあるので、今日目にできたのは300点くらいだろうが、それでも、その量と質に圧倒させられた。浮世絵だけでなく、摺物、狂歌絵本、肉筆画とジャンルは多岐にわたり、晩年まで飽くことのない創作意欲には、ただただ驚嘆する以外にない。「六歳より物の形状を写の癖ありて」と自身が述べているそうだが、まさに、描くことだけにその生涯を捧げたことが、実感として理解できた。本当に、純粋に、「絵を描くこと」が好きだったんだと思う。「写生オタク」とでもいおうか。(必ずしも写生だけではないが。)
個人的に興味深かったのは、豊国、国貞、豊広らと合筆した「七福神図」。当時の浮世絵各派と、こんな交流があったのかと驚いた。
「玉巵弾琴図」という大型掛軸の琴を背負った龍の図の迫力や、「柳に烏図」一幅の空中に舞う烏群から感じ取れる風の勢いなどには、ただただ、立ち尽くすしかなかった。(こういうのは、いくら図録が良くても、生で観ないとわからないだろう。)
北斎の描く女性は、春信とも歌磨とも違い、官能的ではないけれど肉感的ではあり、特に立ち姿には独特の落ち着きと安定感がある。それは、女性の腰の位置がしっかりと定まっているからだと思った。こういうところにも、オタク的写生癖が存分に生かされていたのではないだろうか。
残念だったのは、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」(いわゆる「ビック・ウエーブ」)が、極めて摺りの状態が良いと評判のメトロポリタン美術館蔵のものではなく、東京国立博物館蔵のものであったのと、「西瓜図」が展示されていなかったこと。特に、スイカの絵は、何としても観たかったのになあ。開催直後に行くべきだったと、後悔。
晩年の画号が「画狂老人 卍」ということも、今回初めて知った。
混雑に乗じて、最前列の遅々としか進まない流れで、割合じっくり鑑賞できたのは、まあ良かった。(本当は、行きつ戻りつ思いのまま歩き回るのが理想的なのだけど。)
午後8時に退館。(金曜日は午後8時までだったが、結局8時30分まで延長していた。)およそ4時間、至福の時間で、目眩も気にならなかった。
今度、スミソニアンでもやるそうだが、何だか行きたくなってきた。(スイカも展示されるなら、なおさら行きたい。)
それにしても、こんな大きな規模でなくてもいいから、どこかで豊国展や国貞展をやってくれないだろうか。