マツケン・ショック

マツケンの衝撃から、はや3日。いまだに、脳裏に上様が離れない。サンバのリズムが響き続けている。
おかげで仕事も上の空だ。
会社で「マネージャー研修」というものがあり、略して「マネ研」と言っているのだが、つい、「マツ研」と読み替えたり、あるいは、「マネ研サンバ」などと呟いたりしている自分に気がつく。もちろん、部下には悟られないようにしているが、頭の中はそんな状態だから、仕事が捗るわけがない。
あの日、上様は、「こんな嫌な世の中だから、少しでも皆さんに元気になってもらいたい。」とおっしゃった。コマ劇場を出た時は本当に元気だったのだが、仕事の上では元気でなくなった。今日は台風で早く帰れて良かった。

・・・何を書いているのだろう。そうだ、「芸能生活三十周年記念 松平健 錦秋公演 暴れん坊将軍スペシャル 唄って踊って八百八町〜フィナーレ・マツケンサンバのレビューを書こうとしていたのだった。
しかし、すでにあちこちのサイトで熱く語られているし、自分がそれらに加えることはあまりない。(代表的なところはここだろう

それよりも、何故、こんなにあの舞台に衝撃を受けたのかを書かねばなるまい。

まず、「暴れん坊将軍」がミュージカルであったこと。実は、マツケンサンバだけでは足を運ぶつもりはなかった。時代劇、それも定番の「暴れん坊将軍」をミュージカルでやるということに、沸々と興味が湧いてきたのだった。(時代劇+ミュージカルの驚きよりも、「暴れん坊将軍」+ミュージカルの驚きの方が強い。)
正直言って、ミュージカルにおいて、そのストーリーには全く興味がない。暴れん坊将軍が、どんな感じて唄うのか。また、他の出演者とどのように唄うのか。その歌が、唄いっぷりが素晴らしかったら、ストーリーなどどうでもいいのだ。(もっとも、ストーリーも最後はかなり衝撃的なのだが、ここではとても書けない。)
そして、上様の歌は素晴らしかった。他の出演者も。もっともっと歌の部分を増やしてほしいくらいだった。特に、上様と大鳥れいのデュエットを。

次に、松平健=上様の威容。堂々とした大きな身体と、そして、顔。この顔の立派さは、歌舞伎役者にも匹敵する。主役を張るに相応しい強烈な存在感があった。

更に、大鳥れいの可愛さ。宝塚出身の人とのことだが、大きな瞳が時にいたずらっぽく、様々な表情を見せ、魅惑的だった。

加えて、真島茂樹「先生」の踊り。マツケンサンバの振り付けを担当した元日劇ダンサーは、役者としても出演しており、ミュージカルで踊る幸せを体現している。もちろん最後のマツケンサンバの時も、裾をはだけて一人次元の違う切れ味あるダンスを披露。(10月末までBIGLOBEマツケンサンバ特設サイトで、真島先生の振り付け指南映像が公開されているので、参照されたし。

そして、何と言っても、劇が終わって休む間もなく突入してしまう、上様のオンステージ。時代劇の舞台が、いつの間にか幾何学模様のシュールな背景に転換され、上様が何の説明もなく、派手な衣装で歌い始める。次々と衣装を変え、時に相方を替え、ひたすら歌い、踊る。ミラーボールは回り、ドライアイスの煙りが漂う。知っている人には当たり前の光景なのかもしれないが、この展開は実に衝撃的。ただただ、観客を恍惚の世界に導いているのであった。
この後に、いよいよ「マツケンサンバ」となるのだが、実は、その前までで十分過ぎるほどの満足感があった。イントロが始まった時、観客のボルテージも最高潮となったのだが、自分は、「これ以上はやめてくれ、(興奮しすぎて)苦しませないでくれ」といった感じであった。
しかし、上様はやめてくれない。これでもかと、腰を振り、流し目を送る。いつの間にか、「オレにも、その目を流してくれ、流してくれ」と心で懇願していた。(でも、あの流し目は、主にステージの両サイドに向けられるので、ステージ真っ正面の5列目という絶好のかぶりつきポジションでは、決して流してくれないのであった。当日券にもかかわらず、良い席が取れたのだが、それだけが残念。)

また、このマツケンサンバの凄いところは、前のミュージカルの出演者が全員参加しているということ。しかも、あのキラキラの衣装で。大鳥れい三原じゅん子太川陽介浅利香津代も、そしてもちろん真島先生も。宝塚スターの大鳥れいマツケンサンバでニコニコと腰を振ってくれるだけでも幸せではないか。ミュージカルで悪役を勤めたベテラン俳優も、自分なりのステップで踊っていた。(浅利香津代を含めた悪役3人で唄う、「悪党ほどおもしろい商売はない」というナンバーも必見。特に浅利のいっちゃった目が凄かった。)

マツケンサンバの後、3度のカーテンコールで終了。わずか3時間余りの舞台だったが、劇場を出てくる人はみな満足顔であった。

ふと思ったのは、これは一種の宗教ではないかということ。我々は、松平健=上様という教祖の姿、歌声に、無防備に委ね、恍惚状態になっていた。群衆心理なのかもしれないが、そんな観客の興奮状態がコマ劇場に一種異様ともいえる感情を生み出していたのではないかとも思った。あの、ミュージカル終了後から始まる怒濤の展開は、まさにそういう状態を作り出す巧みな演出であったと、今にして思うのである。

と、ここで突然、オウムの麻原彰晃を思い出した。「マツケンマツケンマツケンサンバー」と連呼するのは、麻原が選挙時に唄っていた幾つかの「名前連呼ソング」を連想させる。もっとも上様のそれは、麻原とは異なり、とても心地良い響きなのだが。(まあ、麻原信者にしても、教祖の歌は心地良かったのかもしれないけど。もしかして今、麻原がマツケンサンバを聞くと、激しく嫉妬するのではないだろうか)

それはともかく、自分が劇場を出てまず一番に思ったことは、大衆演劇の素晴らしさと、今の歌舞伎のことだった。
猿之助勘九郎が試みているようにみえる、歌舞伎の大衆化は、所詮、この松平健の舞台の前では無力だ。はっきり言って、上様のショーの方が断然面白いからだ。逆に歌舞伎は古典芸能としての伝統を守った舞台を作っていくべきではないかと思った。(決してそれはとっつきにくい高尚なものという意味ではない。)
両者を比較すること自体が間違っているかもしれないが、そんなことも、上様の姿をうっとりと思い出しながら、考えていた。


・・・うーん、何だかとりとめもない文章になってしまったな。もうこの辺でやめます。